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by shree
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osho禅タロット 一般

1枚目 中央 主題(問題点)
2枚目 左 まだ気づいていない内面の質
3枚目 右 すでに気づいていて外面に発揮すべき質
4枚目 下 結論を導くための指針
5枚目 上 結論: 理解
osho禅タロット 一般_b0180694_14513516.jpg
愛しあうために

1枚目:74.忍耐
2枚目:45.トラベリング
3枚目:76.熟すこと
4枚目:19.無垢
5枚目:48.源

もうやることはない。
あとは最高のタイミングを待つだけ。
到達までのプロセスも愉しむ、
いつも自分の中心にいながら。

参考:http://www.osho.com/
Copyright © 2009 Osho International Foundation




●1枚目:74. 忍耐
私たちはどうやって待てばいいのか忘れてしまった。そ れはほとんど見捨てられたスペースだ。ふさわしい瞬間を 待つことができるということは、私たちのもっとも大きな 宝だ。全存在がふさわしい瞬間を待つ。樹ですらそれを 知っている——花を咲かせるのはいつなのか、すべての葉 を落とし、空に向かって裸で立つのはいつなのかを。樹々 は裸であっても美しい。古いも のは去り、新しいものがすぐにやって来 て、新しい葉が育ちはじめるという 大いなる信頼をもって、樹は 新しい葉むらを待ってい る。私たちは待つことを 忘れてしまった。私たち はあらゆることを早急に欲しがる。それは人間にとって大 きな損失だ……。
沈黙して待っていると、あなたの内側でなにかが成長 しつづける——あなたの真正な実存が。そしてある日、 それはジャンプして炎になり、あなたの人格全体が粉々に なる。あなたは新しい人間だ。そして、この新しい人間 は、祭り祝う(セレモニー) とはどういうことかを知っている。こ の新しい人間は生の永遠のジュースを知って いる。

Osho Zen: The Diamond Thunderbolt Chapter 10

解説:
あとは待つしかない、という時があります。種はまかれ、子宮 のなかでは子どもが成長し、あこや貝は砂粒に膜をかけて真珠に 変えようとしています。このカードは、今こそただ油断せずに、 忍耐強く、待っていることだけが求められている時なのだという ことを私たちに思い出させてくれます。ここに描かれている女性 は、まさにそのような姿勢をしています。満たされ、不安な様子 もなく、ただ待っています。頭上を過ぎていく月のあらゆる相を 通して彼女は忍耐強く、月のリズムとすっかり合っているために、 そのリズムとほとんどひとつになっています。彼女は、今は自然 がみずからの進路を取るに任せ、自分は受け身であるべき時だと いうことを知っているのです。しかし、彼女は眠たげでも、無関 心でもありません。重大ななにかに備える時だということを知っ ています。それは、まさに夜明け前のひと時のように、神秘 に満ちている時です。あとは待つしかない、という時なのです。


●2枚目:45. トラベリング
生はつねに、つねに、連続したものだ。それ は最後の目的地に向かって進んで行くのではな い。巡礼そのもの、旅そのものが生なのだ。どこ かの地点に行き着こうとしているのではなく、ゴールはな く——ただ踊りながら、巡礼の内にあって、どんな目的 地も気にせずに楽しく進んで行く——。
目的地にたどり着いたところで、あなたはなにをしよう というのかね? これまで誰もこんなことをたずねた者は いない。誰もが生に目的地を設けようとしているからだ。
だが、それが暗に意味するのは……。
もし、あなたがほんとうに生の目的地に着い たとしても、そのあとは? あなたはとても困っ てしまうだろう。どこにも行くところがない……あ なたは最後の目的地に着いてしまったのだ——しかも、 その旅の途中で、あらゆるものを失ってしまった。だから、 あなたは最後の目的地に丸裸で立ち、まるで馬鹿のよう にあらゆるところを見回すことになる。いったいなんだっ たのだ、と。あなたは必死になって急いでいたし、次々と 心労が絶えなかった。それなのに、その結果がこれなのだ。

Osho Rinzai: Master of the Irrational Chapter 7

解説:
この素晴らしい風景をぬって道を歩む小さな人影は、ゴールの ことなど気にしていません。彼、あるいは彼女は、旅そのものが ゴール、巡礼そのものが聖地だということを知っています。道を 歩む一歩一歩、それ自体が大切なのです。リーディングでこ のカードが現われたら、動きと変化の時期を示しています。それ は、ある場所から次の場所への物理的な動きかもしれませんし、 ひとつの在り方から別の在り方への内なる動きということもある でしょう。しかし、どんな場合でも、進むのはたやすく、冒険し、 成長しているという感触がもたらされることをこのカードは約束 しています。余計な苦労や計画は必要ありません。この「トラベ リング」カードは、新しいものを受け容れ、抱擁することを思い 出せてくれます。ちょうど、私たちが日頃慣れ親しんでいるものとは違 った文化や環境をもつ別の国を旅しているときのように——。開 き、そして受け容れるというこの姿勢は、私たちの生に新しい友 人と体験を招き入れます。

●3枚目:76. 熟すこと
瞑想があなたに、どんな夜にも輝く光を もたらすようになって初めて、死さえもあな たにとっては死ではなく、神性への扉にな る。あなたのハートのなかの光で、死そのも のがひとつの扉へと変容され、あなたは宇宙の スピリットに入る。あなたは大海とひとつになる。そ して、この大海のような体験を知るようにならないかぎり、 あなたは無駄に生きてきたことにな る。
今がつねにその時だ。そして、実はつねに熟している。あなたは勇気をだして、自分の 内なる森へと入っていけばいいだけだ。実はつねに 熟しているし、機はつねに熟している。今はその時ではな いということなどない。

Osho A Sudden Clash of Thunder Chapter 6

解説:
果実は熟すと、おのずと樹から落ちます。あるときは樹の枝の 生命の糸にぶら下り、活力に満ちたジュースではち切れんばかり ですが、次の瞬間には落ちてしまいます——。それは無理やり落 とされたり、ジャンプしようとしたからではなく、実が熟したことを樹が知って、ただ落ちていかせたからです。 リーディングでこのカードが現われたときは、あなたには自分の 内なる豊かさ、「ジュース」を分かち合う用意ができていること を示しています。あなたがしなければならないことは、まさに自 分のいるところでリラックスし、それが起こるのを喜んで迎える ことだけです。この自分自身を分かち合うこと、自分の創造性が 広がることは、多くのやり方で訪れます——仕事、関係性、 日々の生活体験のなかで。あなたの側で特別な用意や努力をする 必要はありません。すでに機は熟しているからです。

●4枚目:19.無垢
禅はこう言っている。もしあなたが知識を落としたら——知識のなかにはあらゆるもの、あなたの名前、あなたの アイデンティティ、あらゆるものが含まれている。という のも、これは他人によってあなたに与えられているものだ からだ——もし、あなたが他人から与えられているすべて を落としたら、あなたは自分の存在に全面的に異なった 質——無垢を得ることになる。
これは、仮面(ペルソナ) 、人格(パーソナリティ)の十字架上の死、そして、あなた の無垢の復活になる。あなたは再び子どもになる、生まれ 変わる。

Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 7

解説:
このカードの老人は、子どものような歓びを世界に放っていま す。彼のまわりには優雅な感じがただよい、まるで自分に、そし て生がもたらしてくれているものに、くつろいでいるかのようで す。彼は指の上の蟷螂(かまきり)と楽しい会話を交わしているように見えま す。まるで彼らふたりが大の親友であるかのように——。彼のま わりにこぼれ落ちているピンクの花は、手放しの、くつろぎの、 そして甘美なひと時を表わしています。それは、彼がそこに在る ことへの応答、彼自身の質が映し出されたものです。生を深 く体験することから生じる無垢は、子どものようです。でも、子 どもじみてはいません。子どもたちの無垢は美しいのですが、な にも知らないのです。成長し、世間は危険で怖いところでもある ということを学ぶにつれて、その無垢は不信や疑いに置き換えら れてしまうでしょう。しかし、充分に生きられた生の無垢には、 智慧の質と、生の果てしなく変化する驚きを受け容れる質があり ます。

●5枚目:48.源
禅は、頭から出て根源に行くことをあなたに求める ……。それは、頭でのエネルギーの使い方に禅は気づい ていないということではなく、エネルギーがすべて頭で使 われていたら、あなたは自分の永遠性にけっして気づかな いからだ……。
あなたは、全体とひとつであるとはどういうことなのか、 それを体験として知ることはけっしてないだろう。
エネルギーがまさに中心にあり、脈打っているとき、エ ネルギーが頭にもハートにも、どこにも動かずに、ハート がそこから受け取り、頭がそこから受け取る源そのものに あり、源そのもので脈打っているとき——それこそが、ま さに坐禅の意味だ。
坐禅とは、どこにも動かずに、ただ源そのものに坐るこ とだ。途方もない力が湧いてくる。光と愛への、もっと 大いなる生への、慈悲への、創造性への、エネルギーの 変容。エネルギーは多くの形を取ることができる。だが、 あなたはまず、いかにその源にあるかを学ばなければなら ない。そうすれば、あなたの潜在能力がどこにあるのか、 その源が決めてくれる。あなたは源でリラックスすればい い。そうすれば、源があなたの潜在能力そのものへと連れ ていってくれる。

Osho The Zen Manifesto: Freedom from Oneself Chapter 11

解説:
「足が地についている」とか「中心が定まっている」と私たちが言うのは、この「源」のことです。創 造的なプロジェクトを始めるとき、私たちはこの「源」に波長を 合わせます。このカードは、私たちにはエネルギーの巨大な 貯蔵庫が用意されていることを思い出させてくれます。そして、 その貯蔵庫に入ってエネルギーをくみ取るためには、考えて計画 を立てるのではなく、地に足をつけ、中心に定まり、「源」との 接触がもてるほど沈黙しなければならないということも……。そ れは、生命と滋養を与えてくれる自分の、個人それぞれの太陽の ように、私たちひとりひとりの内側にあります。脈打ち、入手可 能な、純粋なエネルギー——それには、私たちがなにかをやり遂 げるのに必要なものであれば、なんでも与えてくれる用意があり ますし、休みたいときはいつでも家に帰るのを歓迎して くれます。ですから、あなたがなにか新しいことを始めようと していて、まさにいまインスピレーションを必要としていても、 あるいは、ちょうどなにかをやり終えて休みたいと思っていても、 「源」へ行きましょう。それはつねにあなたを待っています。し かも、それを見いだすには、自分の家から一歩も出なくていいの です。
by shree | 2009-07-02 15:02 | リーディング